朝に草などに露が付きやすくなる白露の時節です。昔、野分と呼んでいた台風が多く来襲する時でもあります。
先週は大型台風ということで九州などには大きな被害が生じました。被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
この播磨自然高原は大きな被害はありませんでしたが、いつ何時、災害に巻き込まれるかは誰にもわかりません。常日頃より「災害は必ず来るものだ」という心構えで「災害グッズ」など今一度備えていただければと思います。
さて、「露」にちなんで、日本三大随筆の「方丈記」から。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし」から始まる格調高い古文。
その後「たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き卑しき人のすまひは、世々を経て尽きせぬ物なれど、是をまことかと尋 ぬれば、昔しありし家はまれなり。或は去年焼けて今年作れり。或は大家滅びて小家となる。住む人も是に同じ。所もかはらず、人も多かれど、古見し人は二三十人が中に、わづかに 一人二人なり。朝に死に、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
不知、生れ死ぬる人、 いづかたより来りて、いづかたへか去る。又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。」
鴨長明の随筆で、「無常観と生の儚さを描いた作品」。時の流れと常ならずの世界を表現。時を越えて我々に訴えます。現代語訳より古文で読むとキリっとして流麗な感じがして素敵です。
また、辞世の句として豊臣秀吉の名言
「露と落ち、露と消えにし我が身かな、浪速のことも、夢のまた夢」
など。「露」ひとつの言葉で文学的で奥深いものになりますね。
14日は「コスモスの日」。花言葉は「純潔」「調和」「謙虚」「乙女の真心」。野辺に咲くコスモスは思ったより背が高いですね。花は繊細で優しくピンク・白など色彩豊か、水彩画を観ているようです。
細長い茎で風に揺れる姿は、何か歌っているのか、踊っているのか、話しているのでしょうか。そんなコスモスは秋への移ろいを感じさせるとともにあの夏の燦燦と降り注ぐ太陽との対比で物悲しさも連れてきてくれます。
先日、台風明けの上郡郊外を運転していると多くの「とんぼ」が飛んでいました。トンボは暑さが苦手のようで、夏場の赤とんぼは高地などで避暑するため姿を見かけることはないようですが、秋になって気温が下がると人里に下りてくるといいます。今回、台風の通過で寒気が流れ込み気温が下がったために飛んできた?あるいは大雨が数日間続き餌が取れなかったので、餌の蚊を求めて飛んできた?というところでしょうか。
赤とんぼも、コスモス同様、季節の移ろいと郷愁を誘います。夕暮れ時の茜色の空、広がる田園風景を背に飛ぶ赤とんぼは、皆様が子供のころに童謡「赤とんぼ」を歌った頃の残像を甦らしてくれます。
19日は「糸瓜忌」。正岡子規の句・歌で白露の時期にぴったりのものがあったので紹介します。
俳句~
「葛の葉の 露きらきらと 雨ばかり」
「露の玉 つやつやとして 草の上」
短歌~
「秋の風 吹くや葛の葉 寄りかかり 朝の露より 袖ひやしけり」
「白露や 秋風そよぐ 草の上 昨日も今日も 同じ風かな」
秋初めの情景、雰囲気を繊細に描いています。正岡子規は、自然の中の小さな変化を感じ取り詩的にありのままに表現しているようです。
旧暦の8月15日の夜(十五夜)に見える月を「中秋の名月」と呼びますが、2024年は9月17日がその日にあたります。
夜空にひときわ大きく輝く満月は、幾千年の時を超え人々の営みを静かに見守っているようです。この贅沢な秋の夜のひとときをゆったりと楽しみたいものです。
中秋の名月を播磨自然高原の澄み切った空気のもとで観れればよいですね。