冬至(二十二節気12/22~1/5)

 今日から聞きなれた冬至とあいなりました。

 これを過ぎると少しは日が長くなります。気持ち的には折り返し地点、と思えばこれからの寒さも耐えられる?今のように暖房もない古人は前向きな気持ちで冬至を迎えたのでしょうね。自然に対する感覚が鋭く様々な歌も詠われてきました。

 播磨自然高原内は、このところ氷点下になることも多くなっています。今日の朝は北の方ではマイナス5度ぐらいになっていました。日中は時折ちらつく小雪が舞っていました。皆様方のお住まいのエリアはいかがでしたか?

 さて、前回、「赤穂義士祭」について記載していましたが、たまたま、ラジオで討ち入り前夜の神田伯山の赤穂義士伝「大高源吾」の講談を聞きました。

 鬼気迫る語りに久しぶりに感動しました。

 討ち入り前夜の元禄十五年十二月十三日、赤穂浪士の大高源吾は掃除道具「すす竹」を売り歩いていました。四十七士の中では俳句に通じていました。当時、三代将軍家光にならい?大掃除のすす払いは12月13日と決まっていたようです。したがって12月14日以降には「すす竹」を売ることはできません。大高源吾は14日には討ち入りします。その13日に、宝井其角(俳句の師匠)ばったり外で出くわし、大高のひどい身なりに、其角は自分の来ている羽織をかけてやったそうです。そこは俳人同士、「付け句」(発句から始めて一方が下の句を続けるなどの文芸手法)をやろうと其角が持ちかけ、「年の瀬や 水の流れと人の身は」と前句を詠むだそうです。そして大高源吾は「明日待たるる その宝船」と付句しました。

 別れたあと、其角はその付句の意味が理解できませんでした。悶々と夜は明け、14日は旗本の土屋屋敷の句会があります。其角を訪ねた者から、土屋の屋敷が吉良邸の隣にあることを聞き、付句の意味に気づきます。「宝船」とは「討ち入りで本懐を遂げること」と。(殿中松の廊下で刃傷、赤穂藩主浅野内匠頭が切腹した14日は月命日にあたる)それから・・・・・

 そして、最後に。討ち入り前、その土屋邸を訪れる大高源吾。それを待っていた其角。二人の別れのシーンへと・・・。

 少し飛ばし気味でしたが、是非、一度聞いていただきたいものです。

 ほかの方の講談も聞きましたが、好みの問題だと思いますが、伯山さんは秀逸でした。あまり知らなかった世界ですが、結構、癖になりそうですね。

 そして、そのプログラムの中でコメントがしゃれていました。

 忠臣蔵が今の時代にも人気があるのはどうしてですか?

 「忠臣」を今の時代に言っても響かない、この話は「別れ」がテーマなんです。そうか、「別れ」とは永遠のテーマ、だから、今の時代にも響く?

 なるほどと。

 がらっと話は変わって、この節気の間にクリスマス・正月があります。

 日本では明治33年(1900年)に教文館から出版された小説本「さんたくろう」に「北国の老爺 三太九郎」が子供に贈り物をするところがあるそうです。小説の表紙をネットで観ましたが確かに小さな雪のかぶったミニチュアのようなもみの木を手に抱えています。贈り物は一緒にいるロバ?(トナカイではないようです)の背の籠にあります。確かに白く長い髭はたくわえていますが、顔は日本人の男前?コートのような着物は軍服のようにもみえるのですが?「漢字のサンタクロース」から始まって、大正時代には今のイメージに近いものになっていったようです。

 そして正月。皆様、それぞれに楽しいお正月をお迎えください。

 本年は色々とお世話になりました。

 来年は皆様にとって幸せが一杯感じられる年になりますように。

 お体にはくれぐれもお気をつけてお過ごし下さい。

                  播磨自然高原地区連合自治会

                     会長 秋山

 


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