2022/5/20 掲載
小満(八節気)初候 第二十二候 5月21日~5月25日頃
蚕が孵化して、桑の葉を食べ始める頃です。
蚕はカイコガという蛾の幼虫です。桑の葉を食べ4回の脱皮を繰り返すそうです。口から絹糸を出して繭を作り、その中で蛹になります。2週間ほどで蛾に成長すれば繭から出てきます。繭糸からあの肌触りの良い美しく上品な絹糸が作られて人々の生活に役立ってきました。
蚕はどんなに空腹であっても自ら餌を探すことができないそうです。あくまでも人の手なしには生きていけない。えーと思いますが、まるで家畜のような? 実際、虫は一匹と数えますが、蚕は牛馬などと同じように一頭、二頭と数えるそうです。漢字は「天」の「虫」と書かれる「蚕」、人々にとっては大きな恵みを与えてくれる視点では大切な存在だったのでしょう。
また、成虫は蛾なので翅があるんですが飛ぶことは出来ません。なんと口が無いそうです。食べることができない、子孫のみを残してほぼ1週間ほどでその役目を終えて死んでいくそうです。
2021/9/28付 蟄虫坏戸(ちっちゅうとをとざす)
秋分(十六節気)次候 第四十七候 9月28日~10月2日頃に書いた虫のなかで一番寿命が短い「かげろう」を思い出します。その命は24H未満。
・・・抜粋・・・
3億年前からカゲロウは現在と変わらぬ姿をしているそうです。人類の比ではないですね。まさに生きた化石。この厳しい生存競争の中でなぜ今まで生き抜くことができたのでしょうか?それはこの「短命」にあります。成虫のカゲロウは、餌を獲るこ とはなく(口も退化して無い?)、自らが生きるより子孫を残すことだけを目的としています。命が長くなるほど天敵に食べられたりして種の保存ができなくなる。カゲロウは命を短くして種を保存しているのです。カゲロウは天敵の鳥を避け、夕方ごろに大量に羽化しはじめます。次は夜の天敵、コウモリですが、コウモリはすべてのカゲロウを食べることができない。そして生き残ったオスとメスが出会い子孫を残す作業。その後、オスは死んでもメスはすぐには死ねない。水面に降りて水中に卵を産まなくてはなりません。そこでも、次の天敵、川に生きる魚に出会います。魚も必死ですがすべてを捕食できません。最後の天敵から逃れたカゲロウから産み落とされた卵が水底へ静かに沈んでいくのでしょう?新たな命へのバトンタッチが終了です
・・・。そして、メスカゲロウの命はやがて果てていくそうです。明け方にはすべてが終わった? その大量の死骸が宙に舞う時、陽炎のように見えることがあると・・・。「カゲロウ の命」は一夜の出来事。人間は、やはり感情動物、人間視点からこの生きようを「カゲロウのような」と表現し、「今にも消え失せてしまいそうな状態であるさま」・「儚い」などの意味で使うようになったのでしょうか?
この「はかない」も「人の夢」を当ててることから、夢って実現しない?消え失せてしまいそう? と考えるとちょっと儚いですね。
・・・抜粋・・・
そう思うと、蚕さんも愛おしくなってきませんでしょうか?
明治時代には生糸は重要な輸出品、世界遺産となった富岡製糸場は記憶に新しいですね。
夜も桑を食べている蚕さん。そこにはネズミがやってきます。猫の出番です。「猫の手も借りたい」はここからきています。当時は猫を貸し借りする習慣があったようです。実際、猫の手は役に立たないものの例えになってしまいましたが?当時は猫ちゃんがいるだけで役に立っていたようです。
ちなみに我が家の猫ちゃん。何もしませんがいるだけで可愛いですね。十分に人に奉仕しているようです。
さて、二十四節気では「小満」、気温も上がり、万物が次第に長じて天地に満ち始め麦も実り始める時季、農家の人は一安心、「少し満足」ということから「小満」らしいです。
次候「紅花栄」は、昨年5月にこのシリーズ(72候)を初めて始めた候です。早いもので1年となりました。
今日を区切りに72候による記事掲載は終了させていただきます。
今後は、24節気を扱った記事を掲載させていただきます。次は芒種、6月6日頃になります。 よろしくお願いいたします。