金盞香(きんせんこうばし)

2021/11/17 掲載

立冬(十九節気)末候 第五十七候 1117日~1121日頃

 水仙の花が咲き香り始める頃です。

 

 この金盞は春に咲く金盞花でなく水仙のことです。

 水仙は、中国の古典にある「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という言葉に由来。また、水仙の学名「ナルキッソス」は、ギリシア神話に出てくる美少年ナルキッソスが語源。それは、美少年ナルキッソスが彼に恋する女性に高慢な態度で傷つけたことに激怒した女神ネメシスが、彼に呪いをかけて、水面に映る自分の姿に恋するようにしむけます。でも、水面の自分像は彼の想いに応えることができません。その恋の苦しみのなかで痩せ細って彼は死んでしまい、その体は、水辺で首(こうべ)を垂れて咲く水仙に変化したと? ちょっと残酷ですか? そこから美少年ナルキッソスは自己愛(ナルシスト)の語源にも。

 水仙の花言葉は、「うぬぼれ」「自己愛」。色別の花言葉もあって、白は「神秘」、黄色は「私のもとへ帰って」と何か昭和演歌っぽい? 悲壮感あり?

 水仙は、お正月の花や茶花としても人気者ですが、実は強い毒性をもっています。

 花が少なくなる冬の時期に、雪の中でも花を咲かせるので、別名、「雪中花」とも呼ばれ、雪の中でも寒さに負けず立ち上がって咲く姿は美しく、香りも高く、昔から多くの人々に愛されてきました。

 与謝野晶子 『草の夢』

白鳥が生みたるもののここちして朝夕めづる水仙の花

 寒のさなかに咲く水仙はまるで白鳥が生んだよう。
 朝、夕暮れにも愛でたくなるほどすばらしい水仙の花。

など。

 与謝野晶子といえば、播磨自然高原の隣、岡山県備前市の日生駅前の小公園に、日生の海を詠んだ歌碑があります。

「妻恋ひの 鹿海こゆる話聞き それかと見れば 沖の鶴島」

歌碑の説明書きでは、

「与謝野晶子先生之歌碑
 昭和8年6月、与謝野鉄幹・晶子御夫妻は、正宗敦夫氏らと共に、日生諸島での
 舟遊びに興じ、その美しい景観に心をうたれ、心情を数首の歌に託された。
 書は与謝野晶子先生の御令孫、与謝野馨(衆議院科学技術委員長)によるもの

 である。平成二年五月吉日  日生町」

 * 正宗敦夫は正宗白鳥の実弟

 この歌にある鶴島とは、備前市の観光案内などから引用すると、

恋人たちの聖地 ~ハートでつなぐ甘いひとときを~

 備前市日生港の南東約6kmにある島で、「キリシタン流刑地」として知られています。鶴島の北西にある小島は、潮が引くと鶴島とつながり、干潮時にロマンチックな砂の道が現れます。上空から見るとハート形に見えることから、テレビ番組の舞台としても使用され、恋人たちのパワースポットとして注目されています。
 (アクセス)日生港より海上タクシーで約40分

キリシタン殉教の島
 明冶政府の外来思想排斥政策は、多くのキリスト教信者を心身ともに苦しめました。
 岡山城下から約50km離れた無人烏「鶴島」に送られたキリシタンたち(長崎県浦上キリシタン教徒117名)は、自由な身になるまでの3ヶ年半をこの島で過ごしましましたが、すしづめ状態の長屋、土地の開墾、説教聴問などに耐えかね、 改心する者もいたといいます。

 この島は草地で開墾するには適しており、大豆、麦、さつま芋などが作られていましたが、それらの作物を口にすることは許されていませんでした。この島で亡くなった18名のキリシタンたちは、島の南東の丘斜面に葬られています。

といった具合です。

 瀬戸内海は気温も温暖、風光明媚なんですが、特に近くの牛窓は日本のエーゲ海といわれて久しいですが、歴史の奥にはハンセン病患者の隔離施設があった「長島」もこの近くの島、「鶴島」の悲劇も含め、人のなしたる業と虐げられた者の無念さ等を想うと、光と影を感じざるをえません。

 この歌碑の近くに日生諸島の鹿久居島(かくいじま)と頭島(かしらじま)がありますが、数年前にフェリー乗り場近くから橋が架かり、ミカン狩りなど行くのに便利になりました。橋ができた当時、夜、鹿が集団で橋を渡る映像がマスコミでも話題になっていました。この歌では鹿は海をこゆると、今では橋を渡るではちょっと味 気ないですかね?


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