清明(4節気4/4~4/19)

 清々しく明るい節気「清明」がやってきました。鳥は歌い花が咲き乱れ緑が深くなっていく頃です。

 とはいえ、今年の高原内は鶯の初音を聞いていません?皆様、いかかがでしょうか?昨年までは3月過ぎにはどこかで聞いていたのですが、寒かったせいでしょうか?確かにコブシ・タムシバの咲き始めは桜のつぼみの咲き始めとほぼ同じ時期となっています。何か調子が狂ってしまいますね。

 13日は「喫茶店」の日です。1888年に東京上野で開業した日本最初の喫茶店は「可否茶館」だそうです。経営者は、元外務省官吏、2階建洋館の1階部分はトランプ・碁・将棋などができる場所、そして2階が喫茶室でした。コーヒー以外にもパンやカステラなども出されていたようです。きっとハイカラさんがかよったのでしょうね。しかし4年で閉店(’経営不振)しました。熱しやすく冷めやすい?武士の世が終わったばりなのに、一気に西洋化が進んだ明治ではありましたが流行というものを感じますね。

 さて、我々世代は特に学生時代に「喫茶店」にはお世話になり、数々の「思い出」をつくってくれた場所であったのでは?

 学生の町京都の1970年代、ジャズが大流行していましたが、地下の薄暗い喫茶店でジャズレコードをタバコをふかしながら静かに聞く長髪の学生の映像が小生の脳裏に焼き付いています。これが「カッコいい」とジャズの何たるかも知らず通っていましたが、気恥ずかしい限りです。

 京都のジャズ喫茶、当時「しゃんくれーる(1956-1990)」という店があったと思います。これは「思案暮れる?」からきていたと覚えているのですが?

 6日は「城の日」。「日本100名城」が選定されていますが、今日は3名城について思いを馳せてみます。

 1. 松本城(長野県)

 特徴: 「国宝松本城」とも称されるこの城は、日本で最も古い天守閣の一つ    です。五層六階の構造となっており、白と黒のコントラストが美しい「烏城(からすじょう)」とも呼ばれています。

 ゆかりの武将: 石川数正

  • エピソード: 石川数正は松本藩の初代藩主であり、城の改修にも関わった人物です。1546年に生まれ、 若い頃から武田信玄に仕え、武田氏の重臣として多くの戦で活躍。特に長篠の戦いなどで知られています。 武田氏滅亡後、織田信長に仕えるようになりその武名を高めます。 信長の死後は豊臣秀吉に仕え、小田原征伐などに参加。秀吉から信頼され、松本藩10万石を賜ります。 どちらかというと家康の懐刀であった身を秀吉に鞍替えした複雑な経緯(諸説あり)は歴史ドラマなどでよく描かれており、そちらの方で有名?松重豊さん主演の「孤独のグルメ」を見るたびに「数正」といいたくなる?                                   2 弘前城(青森県)
  • 特徴: 弘前城は、その完存する天守閣ではなく、美しい堀と桜で有名です。特に春になると多くの観光客で賑わいます。
  • ゆかりの武将: 津軽信枚
  • エピソード: 津軽信枚は弘前藩の初代藩主であり、江戸時代初期に弘前城を築城しました。1603年に築城を開始し、信枚自身が設計に深く関与し、防御機能を重視した構造になっています。城の周囲に城下町を計画的に発展させ、経済的な基盤を固めることに努めました。弘前城は、津軽地方の政治・文化の中心となり、地域社会の発展に大きく貢献しました。                                  3. 熊本城(熊本県)
  • 特徴: 「銀杏城(いちょうじょう)」とも呼ばれるこの城は、非常に強固な防御施設として知られています。天守閣や櫓(やぐら)が多く残っており、特に石垣の巨大さと複雑さで有名です。
  • ゆかりの武将: 加藤清正
  • エピソード: 加藤清正は、熊本城の築城主として知られていますが、彼の人生は複雑な忠義と裏切りの間で揺れ動いたとされています。特に関ヶ原の戦いでは西軍に属しながらも、戦後は東軍の徳川家康に仕えることを選びました。これにより、清正は多くの恩賞を受け、その地位を固めることができました。しかし、その決断は常に周囲からの疑念と裏切り者のレッテルを背負うこととなり、彼の心情は苦悶に満ちたものだったと言われています。城の名前をそれまでの「隈本城」から「熊本城」へ改めています。その理由は、「隈」という字に「畏れる」という偏が含まれるのを嫌ったこと、そして「熊」という力強い動物の字を用いて武威を示そうとしたためだと伝えられます​。熊本城の高石垣の下部は緩やかな勾配ですが、上部にいくほど急角度になり「武者返し」と呼ばれる反りを描いています。清正はまた、城下町の整備と治水にも尽力しました。肥後入国当初から熊本(隈本)の復興に努め、荒廃していた町に治水・灌漑事業を起こして農業生産力を高めています。清正の武勇伝として有名なのが「虎退治」の逸話です。朝鮮半島には当時トラが生息しており、休戦中のある時、清正(幼名は虎之助)の一行が野生の虎を狩猟で仕留めたと言われています。清正が槍一本で虎を討ち取ったというこの伝説は、日本でも絵巻や錦絵の題材となり、清正の豪胆さを示すエピソードとして広く知られています​。

 高原では木の芽の匂いが結構強烈です。かれこれ10日以上は続いています。自然の営みと考えれば生きている実感が湧くのですが、それでも・・・。

 「山笑う」季節を詠う、

正岡子規の句「故郷やどちらを見ても山笑ふ」

 まだまだ朝夕と日中の寒暖差は大きいですが、皆様、お体お大切にお過ごしください。

*桜は蕾が大きくなってきました。天気さえよければこの1週間で見ごろを迎えそうです。


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